humgfk’s blog

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『バブルの経済理論 低金利、長期停滞、金融劣化』から

他の本は記事にしていなかったが

個人的に面白い、興味を持った文章を抜粋していく。本記事削除の申し出があった場合にはそれに応じる。

序章「低金利の経済学」から見えてくるものp.9~17

p.
9 額に汗してわずかな収入を得ることが正しい人生だと思ってきた普通の人が、あるとき濡れ手に粟で儲けるようになると狂う。バブルをめぐる波乱万丈は、人間の弱さと愚かさを凝縮した物語である。
9 少し詳しくデータを見ると、市場利子率は経済成長よりも低い。実は、この事実、経済学者にとってはかなり重い。
10 バブル経済の本質とは、等価交換を前提とする市場経済に不等価交換でしかない贈与が入り込んでいる世界である。
12 主流派経済学の理論は、経済合理性を武器にバブルを闇に葬ったのである。
13 その不完全性ゆえに存在しえる銀行が、貸し出しを煽り、経済を不安定化させる。堅実で慎重に融資をするはずの銀行が豹変し、信用膨張と不動産価格の高騰のドラマを陰で操るに至るのは、まさに理論的帰結なのである。
15 金融政策は、バブルの初期には有効であるが、本格化したあとの利上げはバブルを加速させる恐れがある。
16 借り換えを繰り返す国債の価値を支えるのは、新規の借り換え債が既存国債の償還費用を賄うことができるという期待であり、その期待の連鎖のメカニズムは、合理的バブルと本質的に同じである。

第1章キンドルバーガーの慧眼p.19~34

p.
22 新しい時代が到来したという高揚感や自信過剰、そして楽観主義の蔓延が、人々から"行き過ぎ"に対する健全な抑止力という重しを取り除き、人々は次第に事実や理論と異なる物語を信じるようになっていく。
31 実のところ、信用の基礎は「適格な担保である」という金融の基本命題が忘れ去られただけのことであった。
32 しかし"罪"もまた犯した。理論モデルの恐ろしさは、経済学者の思考パターンを洗脳してしまうことである。経済学者は、いつしか合理的に説明できない現象を無視するようになった。
33 なぜこのように考えるのかといえば、マクロ経済学の歪んだ進化が、リーマン危機の発生と無関係ではないと思えて仕方がないからである。
33 すると、アメリカとは異なる歴史的経緯を持つ国に、発達した市場経済を前提としたアメリカ流の経済理論をあてはめると、どうしても不都合が生じる。経済の遅れている国だと切り捨てられ、歴史性や社会規範への配慮は全くない。

第2章バブルのミクロ理論p.35~61

p.
37 しかしながら、実のところ、バブルの性質をもっともよく表している金融資産は、我々の生活の身近なところに存在する。それは「貨幣」である。
38 それ自体が持っている価値と実際に世の中で流通している価値が異なる場合、その差額がバブルである。
40 つまり、将来の価値を失った瞬間に現在の価値を失う。それが貨幣というものでありバブルというものである。
43 バブルが起きても、投資家は非合理的な行動をとっているのでは全くないのである。合理的バブルは、次から次へと現れる将来の買い手が、さらに高い価格で買い続けてくれるだろうという「期待の連鎖」が継続する限り持続する。
44 つまり、将来の株価の割引現在価値がゼロとならないのは、厳密にいえば、利子率を使った複利の計算で資産が割り引かれるペースを上回るスピードで株価が上昇し続けるからである。金利が高ければ、こうした状況を想定するのは難しいかもしれないが、金利が極端に低い状況が続けば、バブルは一般的に起きると考えるのも不自然ではない。
50 彼らの存在を正当化できる唯一の可能性は、金融機関と一般投資家の間には情報格差が存在しており、金融機関はその情報の優位性から利益を獲得しているということである。そしてそれは、効率的市場が想定する世界とは明らかに異なっている。
50 私的なシグナルが市場情報として共有されるのは、投資家が自分とは異なる情報から何かを学ぼうとしているということである。言い換えるならば、投資家が他人のシグナルから何も学ぼうとしなくなれば、効率的市場は崩壊する。
51 自信過剰の投資家ばかりの市場ではバブルが生じる。
52 チャーティストの行動パターンを見抜いて行動する合理的な投資家は、バブルを仕掛けてチャーティストに損失を押し付けて大儲けできるのである。
52 合理的とは言いがたい投資家が絶え間なく市場に参入してくれれば、彼らは合理的な投資家にとって価格操作のインセンティブを与えてくれるカモであり、そしてバブルは頻発する。
52 実際、住宅市場や土地市場では、株式市場とは異なり、かなりの期間にわたって価格が明らかに誤った状態で持続することがしばしばあり、先物市場の不在がバブルの持続性に一役買っていることは確かである。
54 ヘッジファンドがバブルに乗じて利益を上げようとしていた可能性を強く示唆している。

第3章「低金利」のマクロ経済学p.63~

p.
73 バブルは人々を幸せにするのである。むしろ、幸せにするからこそ、バブルが存在すると言い換えた方がいいかもしれない。
78 つまり、バブル経済の本質とは、等価交換を前提とする市場経済に不等価交換でしかない贈与が入り込んでいる世界である。我々がバブル経済に危うさを感じているとしたら、その取引過程に等価交換とは異なる何か胡散臭さを感じ取っているからかもしれない。
97 金融市場が不完全な世界では、バブル資産の存在が投資を刺激するのである。
107 経済データの整備とコンピューターの計算能力の向上は、マクロ経済学から文学的香りを奪いつつある。

第4章巨大土地バブルと日本

p.
115 1980年代になると銀行間の貸し出し競争が激化して、融資額は土地評価額のせいぜい7割程度とする慣行はなし崩しとなった。銀行は、評価額の8割や9割まで貸し出すようになり、さらには将来地価が30%ほど上昇するだろうという見込みをもとに、評価額の10割を超えた貸し出しが横行するようになった。